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保育士していた学生が起業してビジネスの成功者になるまで...

保育士の働く環境、学童と児童館で教育を受けれられる環境を作るために活動。ビジョンは「子どもに人生の糧をつくる」である。ここではそんな活動の経緯と自分のアイデアをまとめていきます。

天才芸人が教える誰も知らないTV話術の極意-上岡龍太郎 神の言葉を書き起こししてみた-

書き起こし お笑い

こんにちは!

今回は僕の大好きな芸人さん、上岡龍太郎さんが今から25年以上も前に語った「過激テレビ論」が大好きで、これまた書き起こしをしていたので、ここに紹介したいと思います。

 

そもそも、なぜ僕がこれを大好きなことかというと、今の時代の(つまらなくなってしまった)テレビの現状を25年も前に、「将来テレビはこうなる!」って見事に言い当てているんですよ。

また、上岡龍太郎流儀の話術も紹介しているのです。

 

それも立て板に水、約50分一人でセットも何もないところで椅子に座りながら話しているんです。CM前の見事な締めも、うまくて格好いいんです。

 

上岡龍太郎さんがどんな人かは、こちらでわかりやすく紹介しているので是非ごらんください。

 

hajimesbusiness.hatenablog.com

 

さ、まずは、上岡龍太郎さんが語るTV話術、過激テレビ論をご覧ください。

www.youtube.com

 

以下、書き起こしです。

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えー、テレビに出るようになって僕も30年ぐらいになりますけどね、まぁもっとも一人でしゃべるようになって22年ぐらいですから。

テレビの中の話術なんてほんとにあんのかなって思いますね。

ただ最近言えることは、世の中の大人たちが、そら政治家も学者も経済人も一般の親も、みんなが基準がなくてうろうろしている時なんですよ。

で、そんなときにテレビという箱の中から基準らしさをこっちが与えてやると非常に惹きつけられるんでしょうね。

 

一つはね、あの、断定してやる。

多少こっちに自信がなくてもそうだと言い切る、自信をもって言い切る。

世の中のことって言うのはそうそう自信をもって言い切れることなんてのは実はそうそうないんです。

実は本当に真剣に考えると、そう断定できることなんてないんですが、それを正直に不安そうにしゃべるから子供たちは迷うんですね。

だから大人は断定的にしっかりと物を行ってやる。これは一つの方法やと思います。

 

つまりね、テレビの見てる人たち、女子供って言うて昔はバカにしましたね、女子供ってひとくくりにして。

ところが僕はね、今やもう女子供の時代やと思うんです。

女子供というのを意識せにゃいかんですね。テレビだけやないです。世の中全部がそうでしょ、女子供でしょ。

 

えー、例えば、日本中の家庭をアトランダムに抽出してみて、百世帯なら百世帯、千世帯なら千世帯でもいいですよ。

その中で統計とってみたらほとんど女と子供が実権にぎってるんの違います。

「旦那が働く、給料が振り込まれる、その振り込まれた銀行の金で、奥さん方がやりくりをする」

と。

で、やりくりをするときに、昔なら男がちゃんと金を持って帰ってきたんで、これで何かを買うと言うても、私が稼いだという実感があったけど、今や銀行経由で入ってきますから、家族のもんと。これはこれでいいんですよ。

 

ところがあの、男が例えば、高い買い物するとしませんか。車。

で、男って言うのは車なら車でもちろんデザインもそうでしょうけど、メカニズムまでいきますからね。

「1800cc、ダブルオーバーヘッドカン、こらええぞターボ付きで。」

こんなこと言うても奥さんにはあんまり説得力ないんですね。

それよりも女の人が「この車かっこいい!」と言うた方に行かざるを得ないと。

ほとんどがあの、女と子供が家庭内の実権握ってしもうてるでしょ。

 

テレビもほとんどそうですよ。

昔はチャンネル権なんていうて、それがもとで殺人事件まで起きたといいますが、この頃はもうパーソナルテレビになって、子供は子供で、家族は家族で見るようになりましたからそんな争いもなくなってね。

 

で、それを誰が握ってるか言うたら、やっぱりテレビの視聴率って言うのは女子供、これにウケるのをやらなあかん。

 

世の中全部がそうですよね、女性と子供、これをターゲットに絞り込まないかんわけですよ、でそこへ向けてどんどんメッセージを送るんですがね。

 

で、女性を口説くときにもそうなんです。不安げに言うとダメ。女には特に断定的にものを言わなイカン、こうなってるんですね。

 

分かりやすい卑近な例でいうと、「お茶でも飲みに行きませんか?」と、これはダメなんです。「お茶を飲みに行きましょう」と断定してやるんですね。

 

そうすると、行きませんかと言われると、聞かれた向うが、つまり自分のほうが「はい」とか「いいえ」自分で判断を下さなイカンですよね。

 

その結果何が起こっても最初に自分が判断下したんだから、自分に責任が帰りますが、

「お茶を飲みに来ましょう」「食事しましょう」

と言われると私は別に「はい」とは言っていない、あの人がああ言ったから行ったらたまたまこうなったんだという言い訳ができますわね。

 

で、この言い訳って言うのが大事なんです。

相手が断定すると向うが「YES」「NO」まあもちろん「YES」「NO」で完全にNOならNOでいんですよね。

どっちかなぁって言う方だと、断定された方についていく。我々のしゃべり方もそうなんです。

 

司会者なんかも見ててね、そうそうそうテレビの中で、まぁ司会というのを、アナウンサーもやれば、もちろんお笑い芸人もやりますし、それから、そうですね、この頃ですと、元何々、元例えばスポーツ選手であるとか、あるいは大学教授であるとか、銀行員であるとか、いろんな人が司会しますよ。

で、司会の時に、これあの、戦後民主主義教育の表れやと言うんですがね。

断定的にものを言うことを怖がるんです。

 

一番司会者に多い例が、

「それでは今日も楽しくいってみたいと思います。まずこの曲から聴いてみたいと思います。」

こういう司会者多いでしょ。

 

で、これは戦前にはなかった言い回しなんですって、戦後で出来たんですって、民主主義によって。

こんな司会者で

「何々してみたいと思います」「何々したいと思います。」

すごく「思う」人多いでしょ。

 

ラジオ聞いてても、テレビ見ていても、

「してみたいと思います」「してみたいと思います」

これは無駄なことなんです、本当はね。

 

「今日も楽しくいきましょう、まず最初はこの曲から聴いてください。」

何のことはない、決まっているんですから。

 

「交通情報へ行ってみたいと思います」

 

思うだけかなと思ってたら、本当に行くんです、行くんやってら思いますといわんと行けって言うんですがね。これが断定的にものが言えない。戦後民主主義教育によって、民主主義は多数決ですから民意に図らなくてはいけない。

 

例えば、一つのクラスの中にあって、

「さあそれでは今日も楽しくいってみたいと思いますが、みなさんご異議ございませんか?ご異議がなければ行かせていただきます。先ほど皆さん方に図りましたですね、図った結果NOはなかったですね、ではいきます。」

 

という、つまり非常に民主主義的なやり方が

「今日も楽しくいきたいと思います、まず最少はこの曲から聴いてみたいと思います」と。この「思います」

になってくるんですね。

で、これは断定していない、つまり自分がリードしていない、独裁者ではない、専制君主ではないという方法ですから、非常に柔らかくて当たりはいいんですが、そこに基準のような「俺がひっぱて行くという」見てる人を惹きつけるもんがないんです。

 

それよりも、多少強傲慢であっても

「今日も楽しくいきましょう、まず最初はこの曲からです」

と、こう言うたほうが

「はぁスパッと言うてはるな、切れがいい、この人の言うことは間違いがないでろう」

と、こう思わせる話術があるんですね。

 

世の中の全てが今そうですよ。

皆が基準を無くしてしもて、皆の顔色を見ながら

「何々したいと思いますが、いかがでございましょうか」

という。

 

その方式ばっかりの中で、

「こうしましょう」「こうです」「これに間違いありません」「絶対これです」

と。

 

世の中に絶対なんてことはないんですね。

永久にって言うこともないですしね。

ところがそれを言うてやった方が、ふと安心すると。

 

つまり、あの、基準をきちっと、多少間違っていてもいいから、断定をする。

すると、見ている方が間違っているかどうかは判断すればいいんで、それはあのテレビというものをね、「魔法の箱」これがあの、オールマイティやと思いすぎてるんですね。

 

僕なんかあの、テレビでちょいと小難しいこと言うてるでしょ。

実は僕の気持ちの中ではね、本来見ている人たちが僕が何を小難しい屁理屈を言うてても

「また言っておるか、うーん、まだ青臭いがやつが、ほうほうほう、何を言っておるか」と、こう「高い所から僕を見ていただくと、非常に、楽しんでもらえるんやないか」という姿勢でやっているんですが。

 

ところが、僕がそれを言うとですね、「ほー」「うーん」と、こううなずかれると困るんですね。

そこで

「うんうん、いいやつじゃ、俺の掌の上で転がしてやろうか」

ぐらいで見てくれれりゃいいんですが。

 

どうもあの、テレビというのが「魔法の箱」「すべてを支持するオールマイティな箱」みたいに思われるとね、テレビにすべてを求めすぎるんですよ。

 

テレビというのはマスコミのメディアの一つですから「one of them」ですからね。

テレビがすべてやなくて、テレビもあれば、もちろん新聞もありますし、雑誌もあるでしょう、ラジオもあるでしょうし、いろんなもんの中の一つと思ってみればね、そう目くじら立ててみることもないし、このテレビの中で

「寸分間違ったことをやってはいけない」「いいことだけしかやってはいけない」

というものやないような気がするんですよ。

 

これだけチャンネルも多くて、で、長時間にわたってやっている中、すべてをそこで、オールマイティをテレビの中に求めすぎてしまうとね、テレビがいよいよ面白なくなる。

 

せっかくつい30年くらい前からつかんだ、こういう箱ですから。

これをどう、面白く使っていくかっちゅうのは、何もその、テレビ自体に大げさな期待感を抱いてね、そこで自分の気に入らんことをやっていたら、「ええい、許せん」と言うてみたり。

 

僕はむしろ、テレビの中がどんどん面白くなくなれば、皆がスイッチを消して、本を読むなり、表へ出るなり、人と話すなり、っていうことが起きてくるやろな、という気がするんです。

 

今がちょうどその過渡期ですかね。

僕なんかは、生まれた時にはもちろん、テレビもなくて、ラジオだけで。

そのうち「テレビの放送が始まる、民放が始まる、チャンネルが増える、カラーになる」という時代を経てきましたから。

いちいち「うわっ」「うわ」「うわ」と思いながら来ましたが、今のは二十歳代の人たちなんか、生まれた時から、テレビがあったわけでしょう、しかも色がついてたわけでしょ。

で、そのテレビというものが別に不思議でも何でもない、家にある電気釜と冷蔵庫となんや変わらん、生まれた時からそばにあったもん。

 

それを過大評価して、「これがすべてのもんだ」と思いすぎて、あまりにそこに、この四角い中に、全意見を投入してしまうとね、せっかくのあの、テレビという玩具が面白くなくなってきますんで、テレビに対して過大評価せんことですよ。

足らんとこはね、うーん、本読む、人と話す、街へ出る、そうですね。

その方が人生もっと豊かになりますよ。

テレビ見る時間があったら、スイッチを消して、本を読むか、人と話すく、そのほうが人間豊かになるような気がしますけどね、テレビに出てる僕が言うっていうのも変な話ですが。

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いかがだったでしょうか?

僕はこれ、何度見ても感銘を受けますね。

そして、話術の極意であり、プレゼン、交渉の場でこの話術があるととても評価され、うまくいくと思います。

是非、ご参考にしてみてください!